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地震からしばらく経って

2011–03–20 (Sun) 05:45
20100921.jpg

地震が起こって一週間以上経ちましたが
時間が経つたびに新しく流される情報にまた恐々とする日々をおくっております。

私よりも大変な人がいるのに、こんなに慌てふためいてどうするかと思うのですが。
計画停電や生活必需品の確保の難しさ、まだ余震は続き、日々流される情報に心が沈み、
普段道理に生きることだけで精一杯な毎日を過ごしております。

いまだに被災地で物理的にも精神的にもつらい状態に置かれている方に
ぬくぬくと生きている私なんかに言われたくないでしょうが
頑張ってくださいと言うことしかできません。
今は本当に大変でしょうがいつか良くなる時がくるのだと信じて
今しばらく頑張ってください。


そして亡くなられた方には深くお悔やみ申し上げます。



そんななか、私の母に聞いた話なのですが
私のおじいさんは学校の先生だったそうです。

身内に厳しく弱者に優しいおじいさんの話は
母から恨み言という形でしか聞いたことがなかったのですが・・・

母は戦後の生まれなのですが、姉のお古の三角定規を使っていた母は
ある日、おじいさんの机に新しい三角定規を見つけたそうです。
自分に買ってくれたのだと思って喜んだそうですが
それは三角定規も持てない生徒に買ってあげたものだったとか・・・。

戦争中の先生と言えば、例のごとく韓国に日本語を教えに行ってて
おじいさんもその一人だったそうですが
おそらくおじいさんは前の話から考えるに
そこでも教師として最善を尽くして接していたのだと思います。
そんなおじいさんに韓国の方は義理堅く、「先生、先生」と家でとれたたまごなどを
よく差し入れてくれてたのだそうです。
戦争中にも関わらず戦後日本に引き上げてきた時より
食べ物に困らなかったと叔父に聞いたことがあります。

おじいさんは私が生まれる前に亡くなっていたのですが
地震があったこの前、息子が生きているからと
「大丈夫か、何か出来ることはないか」と
当時の韓国の教え子から叔父に電話があったそうです。

何ともすごく感動した話だったので書いておきます。
国の身勝手な侵略という形で無理やり日本語しか使えない中、いい思いなど抱かなかったはずなのに
それを超えて先生と生徒という絆を築く人もいたんだなと
義理堅い韓国の方に感謝と
あと会ったことのないおじいさんを誇りに思います。

世界中の人が支援や義援金を送ってくれているそうです。
直らない傷跡はいっぱい抱えながら
それでも立ち直らないはずはありません。
私もわずかながら義援金を寄付しました。
今すぐにとはいきませんがいつか役に立ってくれることを願っています。
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